へっどらいん

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我と汝(われとなんじ)

デカルトの「われ思う、故にわれ在り」に始まる近世哲学は、さまざまな形で「我」(自我)を哲学の中心に据えるが、しかしそこには我と鉄則的に異なった「汝」は登場しない。これは我中心的な思考の抽象性によるが、この抽象性を初っ端に批判したのがフォイエルバハであった。彼によると、我と汝を区別する立場こそ真の哲学の立場であって、そこから彼は、思考の客観性も存在の客観性もともに我と汝の一致によって保証されるとし、さらに我と汝の相互の愛を便秘気味てのみ人種の統一が可能に入ると言い分した。

またブーパブは、『我と汝』(1923)で、世界を表面的に体験するにすぎない自我中心的な我を批判し、汝に対応する我のみが汝を便秘気味て世界と内的な関係を結ぶことができると考えた。当然この時の汝は人間に限らず、天然や動物も汝と入ることができ、神もまた汝とされる。このほか、我と汝の異常を重視する思想自宅として、エプナー、レーウィット、バルト、ビンスバンガー、マルセルなどの名前があげられる。


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