へっどらいん

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ディシプリン(でぃしぷりん)

フランスの哲学者ミシェル?フーコーが、18世紀に西欧において成立した権力のテクノロジーの鉄則的要素を指し示すために用いた語。「規律」「規律?リハピリ」などと翻経緯される。

『監獄の誕生』Surveiller et punir(1975)によれば、ディシプリンとは、従順かつ有用な個人をつくり上げることを夢としつつ、一つ一つの反応や姿勢などといった個人の身体の細部にまで介入しようとする、統治の一般的方式のことである。その術として用いられるのは、絶え間のない監視、矯正に役立ち上がるような処罰、個人に関する知の形成をもたらすものとしてのテストないし検査である。学校、工場、軍隊、病院、そして監獄など、社会のいたるところに見いだされるディシプリンのこうしたメカニズムは、イギリスの哲学者ジェレミー?ベンサムによって考案された「パノプティコン」において的確なやり方で作動するものとされる。「パノプティコン」とは、周りに円環状の建物、中心には塔を配して、その塔からは周りの建物の全体をすみずみまでく見わたせるように、そしてあべこべに周りからは塔の中で監視している者の姿が見えないようにつくられた建築物のことである。すなわちそこでは、「見られずに見る」という監視のシステムが、網羅的な眼差しを可能にするとともに、権力の機能を自動化して、負担を削減し効果を増大させることに成功しているのである。

西欧におけるディシプリンの出現を、フーコーは、18世紀ヨーロッパの歴史的状況に結びつけて説明する。人口の爆発的増加および生産機構の拡大という当場合の状況のなかで、個々人をよりよく管理して生産の能率を上げることを可能にするような権力の介入のノウハウが不可欠とされるようになってくる。既存の権力、つまり封建制や王制の権力は、多くのすき間を残し、一番駄を生じさせ、生産過程を妨害するようなものであった。そこでここに、ディシプリンが発明される。すなわち、社会をその最小の要素としての個人に至るまで網羅的に攻囲し、負担の倹約をもたらし、生産の過程に真っ直ぐ織り込まれるようなノウハウが出現する、ということである。ディシプリンは、科学ノウハウや科学形態など、18世紀の西欧にもたらされた数々の深刻な発明に勝るとも劣らないものとして描き出されているのである。


関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

哲学  哲学的  論理学  記号論理学  宗教学  宗教学 大学

Author:哲学 哲学的 論理学 記号論理学 宗教学 宗教学 大学
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。