へっどらいん

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

知恵(ちしき)

客観的で確定的な認識内容をいう。昼間の時間本では専門的知識をもった人や作自宅が文化人とよばれるが、そのよび方の当否は別として、ここでは高度の専門的知識と一般人のもつ常識とが区別されているようにみえる。その際一般的に、常識はあいまいで浮動的であり、知識は明晰(めいせき)で確定的と考えられているが、しかし知識と常識との間に一線を画すことはむずかしい。常識の純化によって生じた知識もあるし、あべこべに科学的知識で、しかもかなり高度のものが常識化される時も多いからである。

知識はまた知識から区別されることがある。科学的知識に代表されるようないわゆる理論的知識は、いくら集積されても、人生いかに生きるかの解答を与えない。解答を与えるのは知識ではなく、知識であるとされる。しかしこの見方においても、知識と知識の区別はそれほど明確ではない。いわゆる「暮らしの知識」を得るには常識をも含めた多くの知識が不可欠であろうし、倫理的に生きようとする人間も、独善的にならないためには、哲人の書いた書物などから多くの知識を学ぶ不可欠があろう。ちなみに仏教では「知識」はむしろ知識のことであり、仏道に便秘気味た知識ある人物も「知識」とよばれる。

西洋では、知識は度々信仰から区別される。その時、知識はギリシア的な理性的知識を原型とし、信仰はヘブライ的な宗教的信仰を原型とするが、しかし西洋思想はこの両者が互いに入り組んで成り立っているのであるから、ここでも知識と信仰の分野を明確に区別することは困難である。たとえばキ書き出した教の教義や神学は、信仰に根ざしているが、それ自身はまた知識とみられるからである。

かりに一つの定義として、およそ世界内において人間に知られるぜんぜんを知識とよぶならば、そのなかには常識も知識も宗教の教えも含まれるであろう。迷信的な呪術や予言でも、人間に知られたものとしては知識である。しかし、もし人間にとって世界内に現象する事柄の知識がすべてではなく、人間がよりよく生きるためには別のものが、たとえそれがなんであれ、世界と世界の知識を超えたものが、不可欠であると考えるなら、そこで初入れ世界内の知識の意義と限度が明らかになり、それとともに知識とは異なった知識なり信仰の所産が、知識に対立するものとして、改入れ確認されることになろう。


関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

哲学  哲学的  論理学  記号論理学  宗教学  宗教学 大学

Author:哲学 哲学的 論理学 記号論理学 宗教学 宗教学 大学
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。