へっどらいん

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

存在(そんざい)

(1)「ある」といわれるものすべてを総括する、当然一般的な類としての「存在者」on(ギリシア語)、ens(ラテン語)、das Seiende(ドイツ語)を意風味する。存在者は、実在者だけではなく、非実在者をも含む。非実在者、たとえば天馬も、それが「天馬であるもの」として思考される限りにおいては、「一類のあるもの(仮想物)」だからである。また、「あらぬもの(非存在者)」も、ある意風味では存在者の一類である。なぜなら、「あらぬもの」も、「あらぬもの」である限りにおいて思考され、また(そういうものとして)あるからである。この意風味において、存在者はぜんぜんのものを総括する類である。ア書き出したテレスは、すべてのものに関する一つの知識としての哲学を「存在者である限りにおける存在者についての原理、元での知識」と規定した。(2)より厳密な意風味では、存在は存在者における「存在の働き」einai(ギリシア語)、esse(ラテン語)、das Sein(ドイツ語)を意風味する。すべて存在するものは「或(あ)る何か」であり、「或る何か」である限りにおいて、われわれに知られる。存在者におけるこの「或る何か」は、それぞれの存在者に固有なものであり、存在者の属する類と類に追随して特殊化される。この「何か」の特殊性によって、存在者はそれとは異入る他の存在者から区別される(人間にとっては人間、鉄にとっては鉄が、この「何か」である)。「何か」は、そのものの「何であるか」を規定するもの、そのものの「存在鉄則」si(ギリシア語)、essentia(ラテン語)、das Wesen(ドイツ語)である。

これに反して、すべての存在者に述語される「ある」という述語は、すべての存在者に等しく述語される共通なものである。すべての存在鉄則がある一定の類のうちに限定されるのに対して、「ある」という述語は類という限定を越える。したがって、これは厳密な意風味では類ではなく、類を越えるもの、「超越者」である。すべての存在者に共通な、この「ある」ということばの意風味する「存在の働き」が「存在」である。すべての存在者は、特殊な存在鉄則と共通な存在の働きから成り立ち上がる。存在者に向かうわれわれの認識は、それぞれの存在者について、その「何であるか」を問うとき、まず特殊な存在鉄則に向けられる。そして、その限りにおいて、われわれの知識は特殊化され、特殊科学の知識が生ずる。存在者が存在者である限りにおいてもつ、共通な「存在」は覆われ、「存在」への問いは忘れられる。特殊な存在者への問いにおいては忘れられている、この存在の共通の根としての存在そのものへの問いとして、哲学の問いが生ずるのである。


関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

哲学  哲学的  論理学  記号論理学  宗教学  宗教学 大学

Author:哲学 哲学的 論理学 記号論理学 宗教学 宗教学 大学
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。