へっどらいん

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

戦争機械(せんそうきかい)

フランスの哲学者ドルーズとガタリが共著『千のプラトー』Mille plateaux(1980)で提出した概念。戦争を目的とする機械のことではなく、むしろ国自宅の形成や中心化を障害るような、非中心化的で団体的なメカニズムや横断的なネットワークのこと。この時「機械」とは、生物に対立する人造物ではなく、むしろ構造主義の「構造」に対立し、いか入る超越的な原理や否定的なものの統治をも浴びることなく、相互に中継と分岐を生産していくような潜在性のシステムのことである。また、戦争機械は、「遊牧的(ノマド的)なもの」と関係しているとされる。

ドルーズとガタリは『千のプラトー』の第12章においてこの概念を理論的に展開する。第一に戦争機械は、たんに国自宅に対して世間在的であるばかりではなく、国自宅の形成を障害る単独の形式を備えていることが、ピエール?クラストルの著書『国自宅に抗する社会』La Socit contre l tat; Recherches d anthropologie politique(1974)を批判的に検討しながら説明される。第二に戦争機械は、「マイナー科学」と呼ばれる単独の科学を備え、国自宅と結びついた王道科学(代数学、天文学など)と対立する。例えば流体力学や水力学は、質料と形相の対立を越えた次元において、特異性をはらんだエネルギー的な潜在性をテーマ化する科学として、マイナー科学である。第三に戦争機械は遊牧的なスぺース性に関係する。無料しそれはたん入る地理的な移動のスぺースではなく、むしろ静止しながら、大地との関係を断ち切ると同時に、それを自らの強度によって砂漠化するような、断然的なスピードと情動のスぺースである。第四に戦争機械は、道具やノウハウの使用に先立ち、それを可能にする物質的流動に関係する。この潜在性を「人間―動物―武器」という複合体に現実化するのが冶金(やきん)手段である。

戦争機械は国自宅に単純に対立するものではなく、むしろそれと断えざる相互関係にある。また、戦争機械はかならずしも戦争を目的とするものではないが、国自宅資本主義によって所有されて政治的機能を担わされ、総力戦や地球規模の戦争として現実化するものでもある。戦争機械は、地球規模の戦争と遊牧科学という両極を備えているのである。

この概念は、1980年代以降の各国の政治運動や芸手段運動に大きな影響を与えた。とくに政治学者のアントニオ?ネグリと比較文学者のマイケル?ハートMichael Hardt(1960― )は『帝国』Empire(2000)において、上記の両極を、グローバリゼーションの時代におけるネットワーク状の統治装置である「帝国」と、それに対抗する潜在性である「マルチチュード」(団体、多数性)としてとらえ返した。


関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

哲学  哲学的  論理学  記号論理学  宗教学  宗教学 大学

Author:哲学 哲学的 論理学 記号論理学 宗教学 宗教学 大学
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。