へっどらいん

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

理性(りせい)

物事を正しく決断する力。また、真と偽、善と悪を識別する才能。美と醜を識別する働きさえも理性に帰せられることがある。それだけが人間を人間たらしめ、動物から分かつところのものであり、ここに「人間は理性的動物である」という人間に関する古典的定義が成立する。デカルトは、万人に天性つき平等に備わっている理性才能を「良識」あるいは「天然の光」ということばで表している。古来、理性は闇(やみ)を照らす明るい光として表象されてきた。理性によって宇宙における諸事象をある比例的?釣り合い的関係において見晴らし渡すとき、陰気、視界のきかない混沌(こんとん)(カオスchaos)のなかから、ある法則的関係のなかに定位された釣り合い的宇宙(コスモスcosmos)が登場する。もともとギリシア語のロゴスlogos(理性)あるいはそのラテン経緯としてのラチオratioには、比例とかつり合いという意風味が含まれていたのである。明るい光としての理性に対比していえば、感性的禁欲物欲や情念は、陰気盲目的な力である。この意風味で理性と当然鋭く対立するのは狂気かもしれない。喜び、悲しみ、怒り、禁欲物欲、心もとないなどの情念は、陰気、非合理的な力として内部から暴発する。これを理性的意希望によって統御することができなければ、精神の自律性を維持することができない。ここに理性による情念統治という道徳異常が発生する。

カントでは、本能や感性的禁欲物欲に基づく行動に対し、義務あるいは当為(ゾルレンSollen〈ドイツ語〉)の意識によって決定される行為が理性的とよばれる。われわれのうちには自律的に自己の意希望を決定する理性的才能があって、それによって道徳的行為が可能と入る。これが、理論理性と区別される実践理性である。受容性の才能としての感性と対立する意風味における理性は、自発性の才能としてとらえられるが、その時には、理性と悟性はほとんど同義に用いられている。

しかし、理性は度々悟性と対立する意風味でも使われる。古くから、概念的?論証的な認識才能としての理性(ラチオ)に対して、真相在を直観的に認識する、より高次の認識才能として悟性あるいは知性(インテレクトゥスintellectus)の語が用いられた。しかし、啓蒙(けいとっくに)期以後、この優位の関係はあべこべ転される。カントでは、悟性が感覚の多様を概念的統一へもたらすところの、被制約的な認識才能であるのに対し、理性は決断の一般的制約をどこまでも求入れいく一番制約的な認識才能であった。さらに、ヘーゲルにおいては、悟性が抽象的概念の才能であるのに対し、理性は具体的概念の才能であり、悟性的概念による対立の立場を超え、これを生きた統一へともたらす働きであった。理性はまた、宇宙を統治する根本原理という意風味においても用いられる。アナクサゴラスのヌースの説もその一例だが、当然典型的なのは、ヘーゲルの世界精神の考えで、歴史は世界精神の自己実現のプロセスであり、そこには、ある理性的原理が貫かれているという。


関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

哲学  哲学的  論理学  記号論理学  宗教学  宗教学 大学

Author:哲学 哲学的 論理学 記号論理学 宗教学 宗教学 大学
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。