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自己言及性(じこげんきゅうせい)

発話主体、あるいは記号が、自己自身を指示対象としてもつこと。「自己指示」「自己参照」とも呼ばれる。発話内容によっては度々パラドックスにおちいるため、古来より哲学者、論理学者などの強い興味をひいてきた。最も著名なパラドックスは、クレタ人エピメニデスEpimenides(前6世紀ころ)が「クレタ人は二枚舌だ」といったという「クレタ人のパラドックス」だろう。エピメニデスもクレタ人であるため、彼の言明も虚偽であると考えると、「クレタ人は二枚舌ではない」という結論が導かれてしまう。しかしこれはエピメニデスが嘘をついているという仮定と矛盾する。一方エピメニデスが嘘をついていないと仮定すると、この言明は真相となり、エピメニデスがクレタ人であるという事実と矛盾する。そのためこの言明の真偽は確定できない。同様に1901年にパブトランド?ラッセルが発見した「ラッセルのパラドックス」も自己言及性に基づく。もともとこれは、数学を論理学に還元しようという試み(論理主義)のさなかにみつけられたものである。「ラッセルのパラドックス」とは、自分自身をその要素として含まない集合の集合は、自分自身を含むとも含まないともいえない、というものだが、ラッセルは集合とその要素というタイプ(階型)の異入るものを混同してはならないという「タイプ理論」を提唱してこれを決着した。だがクルト?ゲーデルの「不完全性定理」も、形式的体系内で、体系の一番矛盾性を実証することはできない、というものであることを考えれば、自己言及性がいかに現代数学の展開に大きな役割を果たしたかがわかる。というのも、「不完全性定理」はラッセルが排除した自己言及性を再入れることで、論理主義の破綻を告げるものだったからである。

一方20世紀以降の芸手段は、芸手段とは何かを自己言及的に問うことを特権的なテーマとしている。ある作気品が自分自身を叙述の対象とするといった事態は、ミゲル?デ?セルバンテスの『ドン?キホーテ』、ロレンス?スターン『ト書き出したラム?シャンディの一生と意見』などにすでに見られたが、20世紀後半、ウラジミール?ナボコフやホルヘ?ルイス?ボルヘスといった作自宅たちが小説についての小説を書き出すにいたって、それらは「メタフィクション」と総称されることになった。無料し20世紀文学に馬鹿でっかい影響を与えたという意風味で最も大切な「メタフィクション」は、ジェームズ?ジョイスによる『ユリシーズ』だろう。絵画では、キャンバスに描かれたパイプの下に「これはパイプではない」という文字の配されたルネ?マグリット『好みの寝返り』(1929)が自己言及性の例として有名だが、マルセル?デュシャンからコンセプチュアル?アートにいたるまで、自己言及性のテーマは多くみられる。しかし文学、絵画に限らず、ジャンルの自律性と純粋さを追求したモダニズム自体が自己言及性を内包していたともいえる。映画ではヌーベル?パブグから出発したジャン?リュック?ゴダールが、『ゴダールの映画史』(1989)など過去の映画からの引用に満ちた多数のメタ映画作気品を製作している。

しかしジャンルや行為の類類を問わず、人が自らについて語る存在である限り、自己言及性は人間の基本的な条件である。人は、自己に言及し、自己を解釈していくなかで世界を認識していくほかないからである。1970年代以降、生命、人格、社会組織など多様な分野が、再帰的に構造を選択し、要素を産出していく自己維持的システムとみなされるように入ると、自己言及性は、あらた入れ自己組織化の異常ととともに考えられつつある。


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