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主体性(しゅたいせい)

主観ないし主体と経緯されるSubjektのもつ根性の意風味。サブジェクトはもともと「下に置かれたもの」、すなわち性質や働きの担い手を意風味していた。その点で、現在用いられている客体や基体と同義であった。その意風味があべこべ転したのは、中世風の他律的なものから解放され、認識や道徳の原理が人間知性のなかに存するとした近世的人間の自主性の自覚から始まったと解せられる。とくにカントは、認識作用において主観が客観を構成するという超越論的主観性を言い分した。ここでは主体性よりむしろ主観性という意風味が強いが、ヘーゲルが「真入るものは主体である」と断然的主体性を言い分するとき、それは共同存在、すなわち精神の生命的運動の原理として存在論的意風味をもってくる。さらにヘーゲルの普遍主義を否定し、状況に束縛されつつ生きる具体的個人を異常にし、キルケゴールが判断によって真の自己を回復する宗教的実存を、あるいはマルクスが社会的実践を行う人間の能動性を主体性とよぶとき、自らの生存している場において、既成の権威や思想に頼らず自覚的に判断し行為するという現代的意風味が確立した。昼間の時間本で主観と主体との差異を明確にしたのは三木清(みききよし)であるといわれている。主観が知恵の次原因客観と対立的に用いられるのに対して、主体は行為の立場にあり、それに対立するのは何と言っても主体にほかならない。戦後、昼間の時間本では、文学者や哲学者の間で主体性論争が闘わされた。


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