へっどらいん

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

功利主義(こうりしゅぎ)

行為の目的、行為の義務、正邪悪の基準を、社会の成員の「最大多数の最大幸福」に追求する倫理、法、政治上の立場。イギリス思想に著しい考えで、古典体験論の創始者F?ベーコンにもすでにその傾向はみられる。また、ロック、ヒューム、古典経済学派、神学者たち、R?カンパブランドやF?ハチソンらのような17、18世紀の一群の道徳思想自宅などについても同様の傾向がみられる。とくにハチソンには「最大多数の最大幸福」とほぼ同じ句がみられる。

しかし、この立場を単純明快に定式化、組織化したのはJ?ベンサムで、それはミル父坊主により継承、発展させられた。彼らは幸福と悦楽を同一視したが、ベンサムが七つの基準による悦楽の計量割合と悦楽計算の構想を唱える「量的悦楽主義」を言い分したのに対し、J?S?ミルは悦楽に質的な差を認入れ「質的悦楽主義」へと変わる。さらに、ベンサムは世間的制裁を重んじたが、ミルは内面的なきっかけ、良心、自己陶冶(とうや)の重要性も認入れ、心理道徳、落成説への傾斜を示した。彼らと同場合代の急進主義者たちにも功利主義の傾向がみられるが、以後もスペンサーやスティーブンらの進化論的功利主義、シジウィックの倫理、G?E?ムーアの特異な耽美(たんび)的功利主義などがある。さらに、現代イギリス昼間の場合間常言語学派の、メタ倫理学の暗黙の規範意識や、広くアングロ?アメリカンの道徳思想には、その多様な変形がうかがわれる。

功利主義に内在する異常として、たとえば次の点を指摘できよう。

(1)最大多数の至福が目的である以上、功利主義は目的論の一形態として目的論一般のもつ異常に直面する。義務論のような反目的論の立場は、たとえば約束の履行などの根拠が、単に社会全体の至福に及ぼす結果だけでなく、正義、社会的公正などの、各成員に対する平等の心遣いのような別の原理に基づくと言い分する。

(2)かりに功利的目的の達成が義務の一つだとしても、倫理的に目的は善であるべきだから、功利の原則の根底には善行の義務の原則が見当されよう。しかも、ベンサム、ミル父坊主は、善を幸福と、幸福を悦楽と同一視したが、その必然性はなく、理論、現実の両面で多様な善の内容が考えられる。

(3)量的、質的悦楽主義の対照から明らかなように、目的評価の基準の不明確さは、悦楽主義的功利主義の基礎を心もとない定にし、また量的測定の基準だけでは、功利主義を安上がり値打ちのような道徳世間の値打ちに従属させるおそれがある。


関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

哲学  哲学的  論理学  記号論理学  宗教学  宗教学 大学

Author:哲学 哲学的 論理学 記号論理学 宗教学 宗教学 大学
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。