へっどらいん

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

幸福(こうふく)

人間は生きていくなかでさまざまな欲求をもち、それが満たされることを願うが、幸福とはそうした欲求が満たされているコンディション、もしくはその際に生ずる満足感である、とひとやばいえよう。人間はだれしも幸福を追求する。しかし、人がどのような欲求の満足を求入れいるかに応じて、幸福の内容もまたさまざまである。いわゆる幸福論や人生論は、人間にとって真の幸福とは何かを語るが、語り手によって幸福の内容がそれぞれ異なるのも、ある意風味では当たり前であろう。

感性的な欲求の満足にのみ幸福を追求する人は、一般に悦楽主義者とよばれる。この時幸福とは感性的悦楽であり、古代ギリシアのエピクロスがこの類の悦楽主義を言い分したとされ、そこから悦楽主義者はエピキュリアンとよばれたりする。しかしエピクロス自身は、真の幸福はかえっていか入る欲求によっても心が乱されない境界地(アトラクシア)にあると考えた。東洋では、悟りの境界地とか一番の境界地といわれるものがこれに近いであろう。ここで求められているのは、感性的欲求の満足ではなく、精神的安定を追求する欲求の満足である。ストア派の人々も、理性の指図に追随して自己を統治し、克己禁欲的(ストイック)に生きることに幸福をみいだした。ストア派に限らず、総じて自己の人格的落成に精神的幸福を追求する人々は、感性的悦楽を低次の幸福とみなし、それを否定する傾向にある。

以上の見方はいずれも個人の幸福を主眼としているが、人類全体の幸福の促進を重視する倫理説もある。たとえば功利主義によると、倫理的によい行為とは、「最大多数の最大幸福」を追求する行為である。この幸福には感性的悦楽のほかにさまざまな精神的悦楽も含まれるが、実際に多類多様な悦楽の総和を計算で知ることは困難であり、今昼間の時間では功利主義の原則は、快の増大よりもむしろ不愉快(苦)の減少に適用されている。つまり、地上から人類の不幸をできるだけ取り除くことが幸福の増大につながるとする見方であって、マルクス主義のなかにもこの類の見方が形を変えてみいだされる。なおカントは、幸福を真っ直ぐ目的とするぜんぜんの幸福主義倫理を退け、道徳法則に従う有徳な暮らしを重視する。有徳な暮らしは無料ちに幸福ではないが、「幸福を浴びるに値する」暮らしであって、徳と幸福との一致も、有徳な暮らしを便秘気味てのみ希望うるのである。


関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

哲学  哲学的  論理学  記号論理学  宗教学  宗教学 大学

Author:哲学 哲学的 論理学 記号論理学 宗教学 宗教学 大学
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。