へっどらいん

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

普遍論争(ふへんろんそう)

ヨーロッパの中世哲学において、「普遍」universaliaをめぐり展開された存在論的?論理学的論争。普遍の異常はすでにプラトン、ア書き出したテレスにおいても論じられたが、ポルフィリオスがア書き出したテレスの『カテゴリー論』の序文(エイサゴーゲー)で、〔1〕類や類は実在するのか、あるいは単に空虚な表象像にすぎないのか、〔2〕もしそれらが実在するとしたら、それらは物体的か、あるいは非物体的か、〔3〕それらは感覚的事物から切り離されているのか、それともそのうちに存在を持つのか、という三つの問いを出し、ローマの哲学者ボエティウスがその注釈において異常の決着を試みて以来、ヨーロッパ中世とくに11世紀から12世紀にかけて、普遍に関するさまざまの存在論的?論理学的見解が現れ、論議が交わされた。

この異常に対する初っ端の解答は「極端な実念論」とよばれるものである。それによれば、類や類という普遍は、精神のなかに存在するのと同じ仕方で、精神の世間にある対象のなかに実在する。たとえば「人間」は、精神によって考えられたのと同じ仕方で一つの共通な実体として精神の世間に実在し、したがって同一の類に属する個々の人間はこの実体を分持つか、あるいはこの実体に偶有が加わったものと入る。オーセルのレミギウス、カンブレのオドー、シャンポーのギヨームなどがこの立場をとった。

これに対して、普遍は「名称」にすぎず、実在するのは個物だけであるとする説を唯名論とよぶ。ロスケリヌスは、普遍は「音声の気息」flatus vocisにすぎないと言い分したと伝えられている。このように普遍を「もの」resに帰するか「名称」nomenに帰するかによって実念論realismと唯名論nominalismが区分される。なお、普遍を概念であるとする説を概念論conceptualismとよぶ。12世紀のアベラルドゥスは、ロスケリヌスとギヨームを批判して単独の説をたてた。彼は「普遍は多について述語されるにふさわしいが、個物はそうでない」というア書き出したテレスの定義から出発し、普遍の異常を普遍的名称の命題における述語機能という観点から考察、普遍的名称の表意作用significatioの分析を案内して、普遍はものでも音声でもなく「ことば」sermoであるとした。

アベラルドゥス以後実念論は、シャルトル学派やサン?ビクトル学派において穏健な方角をとった。ソールズベリーのヨハネスによれば、類や類はものではなく、精神がものの類似性を比較し抽象することによって、普遍的概念として統一した、ものの形相である。したがって普遍は、精神によって構成されたものであり、精神の世間に実在しないが、精神による構成が抽象である限り、普遍は客観的基礎を有している。

トマス?アクィナスやドゥンス?スコトゥスも実念論の立場を保持したが、唯名論を発展させたのは14世紀のオッカムである。彼によれば普遍は個別的対象を表示する名辞あるいは記号である。実在するものは個物のみであり、普遍は個物ではないから、いか入る意風味でも実在しない。普遍は論理学的身分のみをもつ述語あるいは意風味なのである。

普遍に関するさまざまの論議は、中世の論理学?存在論の形成と精緻(せいち)な展開にあずかって大きな力があった。


関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

哲学  哲学的  論理学  記号論理学  宗教学  宗教学 大学

Author:哲学 哲学的 論理学 記号論理学 宗教学 宗教学 大学
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。