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神の存在実証(かみのそんざいしょうめい)

キ書き出した教神学?哲学の異常の一つ。キ書き出した教において、神は信仰の対象であるが、世界における他のさまざまな事物や信仰者自身の存在が理性によって確認されるのに応じて、神の存在もこれらの事物とは異入る、これらの事物を越える存在として信仰者のうちにおいて理性的な道で確認されることを求められる。神の存在実証とはこの確認の手続である。それゆえ、それは第一義的には信仰者のうちにおける信仰内容の理性的な自己確認の手続であるが、同場合に、非信仰者に対しては信仰者による神の存立の弁証と入る。

古代ギリシア教父やアウグスティヌスにもその萌芽(ほうが)はみられるが、透徹した論理的な思索を展開した初っ端の人はアンセルムスである。彼によれば、神とは「それよりも大い入るものが思考されえぬもの」である。このことばを聞き、これを読む人にとって、それはその人の精神のうちに存する。ところで、精神のうちにだけ存するものと、精神のうちに存するとともに実在のうちにも存するものとでは、後者のほうが前者よりも大きい。しかるに、神は「それよりも大い入るものが思考されえぬもの」であった。それゆえ、神は無料精神のうちに存するだけではなく、実在のうちにも存する――とされる(『本職スロギオン』2)。これは、神の観念からその存在を実証するものとして、のちに「存在論的実証」ontological argumentとよばれる。近世ではデカルトがこれに似た実証を行った。この実証のまあまあ性については、カント、ヘーゲルをはじめ多くの哲学者が賛否両論を唱え、今昼間の場合間に至るまで論争が絶えない。

これに対してトマス?アクィナスは、体験論的な基盤から、世界存在の認識に基づき、世界存在を存立させている根拠として神の存立を論証しうるとした。それには五つのやり方があり、「五つの道」quinque viaeとよばれる。第一から第三の道は世界存在の運動変化の事実から出発し、運動変化の第一根拠として神の存立を論証するものであり、ア書き出したテレスによっている。第四の道は世界内の存在事物にみられる完全性の段階の違いに基づき、この段階を成立させる根拠として最良に完全なものである神を論証する。第五の道は世界内に存する理性的秩序の根拠として神を論証する(『神学大全』第1部2の3)。これら世界存在から出発する論証は総括して「宇宙論的論証」cosmological argumentとよばれる。カントは、これらを理性の合理性の注文としては不可避であるが、客観的なまあまあ性はもちえぬものとし、神はこれらとは別の道で求められるべきであるとした。


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