へっどらいん

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

値打ち論(かちろん)

値打ち決断や値打ち評価などを中心異常とする値打ち哲学をいう。値打ち論の歴史は古代にさかのぼるが、哲学の一領域として値打ち論への興味が高まったのはそう古いことではなく、せいぜい19世紀の末からである。その精神史上のバックには、近代西欧の伝統的値打ち観たるキ書き出した教的値打ち観が一番力かつ一番意風味になったという多くの人の実感がある。このことを当然明確に公言したのは、現代を「二千年にわたりキ書き出した信徒であったことの償いをせねばならぬ場合代」として以前の「一切の値打ちの顛倒(てんとう)」を唱えたニーチェであった。

こうした伝統的値打ちへの失意の場合期が哲学的値打ち論の発生期にあたる。元来、値打ちということばは経済学上の用語としてはっきりした意風味をもつようになったが、哲学的値打ち論も、19世紀末、オーストリアのマイノング、エーレンフェルス、クライビッヒらが経済学上の値打ち論争との関連で議論を始めたことが発端である。そのため当場合の値打ち論者は、値打ちを人間暮らし、とくに人間の禁欲物欲や感情と不可分のものと考えた。値打ちとは禁欲物欲や感情の対象であるという説を天然主義あるいは心情主義とよぶが、この類の値打ち論はもともと体験主義の有力な英米やスカンジナビア諸国で主たる潮流と入る。

哲学的値打ち論発祥の地オーストリアやドイツでは、ブレンターノ流の心情主義を脱し、値打ちを感情を便秘気味て「現れる」ところの客観的断然的なものとする見方が有力に入る。値打ちとは、主体の欲求に制約されることのない「端的に値打ちに満ちたもの」(ミュンスターベルク)であり、財物から区別されるア?プリオリ(先天的)な値打ち秩序が存在すると考えるようになった。ここにM?シェラーを主たる唱導者とする断然主義的値打ち客観主義が成立する。

一方、値打ちが財物から区別された理念的なものであるとしても、値打ちの秩序や体系など存在せず、ありうるのは究極の値打ち間の対立、「神々の紛争」(M?ウェーパブ)だと考えるとき、断然主義的値打ち多元論が成立する。

理念主義が優勢なドイツ語圏の値打ち論は断然主義的傾向が強いが、体験主義の伝統下にある英米圏では、値打ち論も体験主義的で、相対主義的である。とくに20世紀の英米の値打ち論は、値打ちを欲求の対象とする天然主義と普通んで、値打ちとは、事実とは区別される人間の感情や行為の機能であると考える主観主義が有力となった。これは、値打ちは決断の主体たる個人や群れに依存するとみる相対主義と結び付き、今昼間の場合間の値打ち論議の中心になっている。


関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

哲学  哲学的  論理学  記号論理学  宗教学  宗教学 大学

Author:哲学 哲学的 論理学 記号論理学 宗教学 宗教学 大学
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。