へっどらいん

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

意希望(いし)

値打ちの感情を伴う目的きっかけに促され、その目的の実現によって終わる一連の心的過程が、並、「意希望」とよ露見している。一般に人間の行為は、これから遂行される行とばっちりでよって実現されるはずの未来のできごと、つまり「目的きっかけ」、および、この目的きっかけ=企図そのものを決定づけた利害、興味、状況決断、根性、病み付き等々の「事情きっかけ」とによって説明される。「未来」先取り的な目的きっかけと「過去」の諸体験に根ざす事情きっかけとが互いに連結しつつ、行為とよばれるある統一的な連関を形成し、「意希望」はその連関を貫通すると考えられている。

しかし、哲学思想史上「意希望哲学」と称されるショーペンハウアーやニーチェの哲学によれば、根源の「意希望」はいわゆる「きっかけ」をも超えたところで威力を振るい、それゆえ「きっかけ」によっては説明されえない。ショーペンハウアーの『意希望と表象としての世界』(1819)によれば、きっかけは一定の時と敷地と状況における意希望の発動を説明し、その意風味で「きっかけの法則」は行とばっちりで関する一類の根拠律ではあるが、しかしそれは「そもそも意希望する」という始原の事実、いわゆる「生への意希望」を事情づけ、説明するものではない。

根拠律(事情律)とは、すべて事物や事態がかくかくにあるについては、それに対する十分な根拠(事情)がなければならないというものであり、行為の時の充足根拠律は、結局、「きっかけの法則」であるが、ショーペンハウアーによれば、「きっかけ」は個々の体験から推究され、不完全な仕方で合成された人間の(体験的)根性との関係においては、その人間の行とばっちりでついて十分な根拠(事情)づけをなし、説明を与える。しかし、人間が「そもそも意希望する」という始原的事実は、まったく根拠律の世間にあり、一般に合理性を旨とする科学的認識、根拠律を手引きとする体系的認識をもってしては、主観にとっての客観であるにすぎない「表象」相互の関係(事情と帰結の関係)はとらえられても、表象の世界の根底にある「意希望」の世界には届かないのである。

時間スぺースおよび因果によって構成される「表象」の根底には、「物自体」である「意希望」が渦巻いているとするショーペンハウアー哲学の真髄は、知性の力によっても簡単に脱しえない意希望衝動の統治下に人間は置かれているという非合理主義的な洞察にあり、西洋哲学思想の主流の伝統=理性主義に反あべこべするこの洞察は、「力への意希望」を説いたニーチェにも浴び継がれている。


関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

哲学  哲学的  論理学  記号論理学  宗教学  宗教学 大学

Author:哲学 哲学的 論理学 記号論理学 宗教学 宗教学 大学
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。