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へっどらいん

アンガージュマン(あんがーじゅまん)

もともとは、契約、拘束などの意風味だが、政治や社会の異常に進んでまめに参加していくことをさすことばでもある。とりわけ第二次世界大戦直後に、サルトルがこの語を多用して以来、これは彼を中心とする一番神論的実存主義のグループの思想と切り離せないものになった。

サルトルの哲学によれば、意識存在である人間は、めいめいが気ままな選択によって過去を乗り越え、現に存在している自己を否定しつつ、まだ存在していないものをつくりだしていく。したがって人間のあり方は、現在のコンディションからの自己解放であるとともに、まだ存在しない目的へ向かっての自己拘束(アンガージュマン)であると規定できる。しかも人間は「世界内存在」であって、他者とともにあらかじめこの世界に拘束されているのであるから、それぞれの状況に働きかける各自の選択こそ、なによりも重視しなければならないものである。

サルトルの言い分したこのようなアンガージュマンは、けっして狭い意風味での政治行動や社会参加に限定されるものではなく、場合代や状況に束縛されていながら同場合に気ままな存在でもある人間が自己を実現していく仕方のことであり、したがって、各人の責任を強調するきわ入れ倫理的な思想であった。しかもサルトルは徐々にマルクス主義を浴び入れていったために、それに応じてアンガージュマンの概念もいっそうの広がりをもち、やっと歴史の全体性への参加、という意風味すら帯びるに至った。

さらにこのアンガージュマンは、文学の創造に関しても指摘された。サルトルが第二次大戦前の作自宅たちの一番責任性を厳しく追及して、同場合代人のために書き、かつ同場合代に責任を負っていくことこそ、ものを書く人間のあるべき姿であるとし、こうして「アンガージュマンの文学」を提案したからである。しかしこの分野でも、彼はちょっぴりずつ狭い政治主義から脱して、作自宅が自分の単独性を深く掘り下げて全体と普遍に迫ることこそ、文学のアンガージュマンであると考えるようになった。

こうした素振りは、第二次大戦後から1960年代まで、単にフランスだけでなく、世界的に先進国の青年たちに告訴するものをもっていた。60年代以後、アンガージュマンの流行はいったん終わったが、個と全体を同場合にとらえようとしたこの試みの意義が失われたわけではない。


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