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アウラ(あうら)

ギリシア語の原義は息や風のそよぎを意風味する。医学の分野ではガレノス以来、てんかんの発作の先触れとみなされていた。アウラはオカルティズム、神智学、超心情学の分野においては、人間を取り巻く神秘的な光彩の放射として表象される。この時昼間の時間本語ではオーラと呼ばれるのが通常である。アウラと表記される時には、ワルター?ベンヤミンが「複製ノウハウ時代の芸手段作気品」Das Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit(1935~39)において、伝統的な芸手段作気品の特質をしるしづけるために用いた概念を指す。この時アウラは、芸手段作気品がいま?ここに結びつきながら一回的に現象する際の独特の輝きを意風味し、伝統的な哲学用語としては「仮象」ないしは「美しい仮象」などに対応する。現代の哲学ないし芸手段理論におけるアウラの用法は上掲論文に基づいている。

アウラという語は20世紀初鶏冠ドイツで広く用いられていた。しかし、ベンヤミンがアウラを「びりなに目と鼻の先とも遠さの一回的な現象」と規定することから、この概念はミュンヘン宇宙論派と呼ばれるアルフレート?シューラーAlfred Schuler (1865―1923)ならびにルートウィヒ?クラーゲスの思想を、真っ直ぐ的な機縁としているとみるのがまあまあである。クラーゲスもまた遠さの現象をアウラないしニンブスNimbus(アウラと同義)の割合の条件とするからである。シューラーにとってアウラは歴史哲学的な時代区分をめりはりづけるために用いられる概念であり、クラーゲスにとってアウラはロゴスないし言語従来に存するとされる好みに独特の輝きである。しかし、両者に共案内しているのは、アウラが、歴史時代従来ないしは概念によって事物を掴む精神従来の、根源的な人間のコンディションに固有の現象とみなされていることである。

ベンヤミンは、基本的に天然現象に賦与されるアウラという特質を芸手段作気品に転用することで、近代芸手段ならびに複製ノウハウによる芸手段の存在様態を理想的に把握しようとする。伝統的な芸手段作気品が現象する際に現れる近づき難さ=遠さを、崇拝対象の核心と同一視することによって、ベンヤミンは伝統的芸手段作気品の根底に存する値打ちを「礼拝的値打ちKultwert」とし、芸手段作気品と崇拝物の存在様態との連続性を顕わにする。それに対して、いま?ここに原理的に拘束されることのない複製ノウハウを基盤にする芸手段形式(写真、映画)は、アウラをもたない。アウラなき芸手段には礼拝的値打ちとは根本的に縁がないな値打ちが割り当てられることに入る。「陳列的値打ちAusstellungswert」である。正確にいえば、近代芸手段は礼拝的値打ちから陳列的値打ちへの重点の移動期にある。同時に、原理的に礼拝的値打ちとは縁がないの写真や映画も、あべこべにその陳列的値打ちを抑圧して礼拝的に用いられることも可能であることをベンヤミンは示嗾けている。芸手段作気品におけるこの二つの値打ちの紛争は、両者が基礎づけられる異入る実践の分野において理解される。礼拝的値打ちが究極的には占い的、宗教的な実践と結びついているとするならば、陳列的値打ちは別の実践に基礎づけられることに入る。ベンヤミンによれば礼拝的値打ちから解放された、純粋に陳列的値打ちのみに基づく芸手段は、このような値打ちを基礎づける分野としての政治的実践の分野、それも共産主義の政治と結びつかなくてはならないとされる。それに対して、ナチズムは複製ノウハウによって拡散する芸手段の広汎な公開割合を陳列的値打ちのためではなく、礼拝のために利用し、芸手段と政治を礼拝的値打ちないしはアウラを媒介にして馴れ合いさせる。ここから「ナチズムは政治を美学化するが、共産主義は美学を政治化する」というベンヤミンの有名なテーゼが提出されることに入る。


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