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主語(しゅご)

文法用語であるが、論理学でも用いられる。論理学上は、「AはBである」といった命題の「Aは」の部分をさす。すなわち、次に述べられる属性の主体にあたるものである。文法的にはかなり複雑な異常がある。たとえば、「主語」を文の述語の表す属性や反応の主体を表すものと定義するなら、どの言語にも「主語」という範疇(はんちゅう)が存在することに入る(そのような主体を表す術がない言語などは考えられない)が、それでは、個々の言語の文法の実態をなんら考慮しない考え方になってしまう。したがって、文の述語の表す属性や反応の主体を表す(文の)成分が、そうでない(文の)成分とは異入る文法上の扱いを浴びている時にそれを「主語」とよぶという立場をとらざるをえない。その時に用心すべきは、異常の成分の持つ見かけ上の特殊性が、それが属性や反応の主体を表しているということからすっかり説明できるものならば、その見かけ上の特殊性は、その成分が他の成分とは異入る文法上の扱いを浴びていることを示すことにはならないということである。たとえば、昼間の時間本語に「主語」が存在するか否かを論じる時、どのような述語にもその述語の表す属性や反応の主体を表すものを同一文中に共存させうるのに、たとえばその述語の表す反応の対象を表すものはかならずしもそうではないといったことは、まったく一番関係なことである。なぜなら、このような見かけ上の特異性は、いか入る属性や反応も、その主体としての物質なしには存在しないということの真っ直ぐ的結果にすぎず、昼間の時間本語がそうした主体を表す成分を文法的にどう扱っているかということとはまったく一番関係な事柄だからである。おそらく、昼間の時間本語については、そうした主体を表す成分が他の成文とは異入る文法的扱いを浴びているといえる根拠はみいだしえない、したがって昼間の時間本語は「主語」とよびうる範疇の存在しない言語ということに入るであろう。たとえば、主体を表す成分の文中における位置も他の成分と異入るとはいえず、文中にあってもなくてもよいという点でも、他の(述語を除く)成分と同様である。

これに対して、たとえば英語には、「主語」という範疇(それをどう名づけようと)の存在を認めざるをえない。なぜなら、述語の表す属性や反応の主体を表す成分は、平叙文や疑わしい文では原則として文中に存在せざるをえず、またその文中の位置も原則として決まっている。このような特殊性は、そうした成分が属性や反応の主体を表しているということからは説明しきれないものである。主体を表しているからといって、なぜ文中に必要なのか、なぜ文中における位置が決まっていなければならないのか、どうにも説明しきれない。したがって、この成分のこうした特殊性は、英語の文法がそれに他の成分とは異入る位置づけを与えていることによると考える以世間になく、そこに一つの範疇が文法的に存在すると考える以世間にない。つまり、英語には「主語」が存在するわけである。「主語」という範疇の存在を考えるべき言語はかなりあり、すべて同じ特殊性を示すことによってその存在が実証されるわけではないが、そうした成分が主体を表すということだけからは説明しきれない特殊性を示す。また、「主語」の存在する言語においても、「主語」の表しうる内容の範囲は言語によって当たり前かなり異入る。


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