へっどらいん

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

李珥(りじ)

朝鮮、李朝(りちょう)中期の代表的な朱坊主学者。政治自宅。京畿(けいき)道徳水の人(出生地は江原(こうげん)道江陵)。字(あざな)は叔献(しゆくけん)、号は栗谷(りつこく)。聰明(そうめい)な母、申師任堂に教育を浴び、13歳で進士初試にパス。16歳のとき母を無くした悲しみは大きく、一場合仏教に傾倒したが、20歳のとき儒学に復帰し、聖人を希望す自警文をつくる。以後の活躍は目覚ましく、23歳のとき李退渓(たいけい)(58歳)を瞠目(どうもく)させ、同じ年科挙別試の答案「天道策」で一挙に名をあげ、遠く中国にまで聞こえたという。彼は宣祖(せんそ)の信任厚く、重職を歴任するが、直言をはばからない大司諫(たいしかん)として多数の上疏文(じようそぶん)(上奏文)を残した。1592年壬辰倭乱(じんしんわらん)(豊臣(とよとみ)秀吉の朝鮮侵略=文禄(ぶんろく)の役)の8年前に国防のため10万の兵養成を建議したことは有名。訓童書『撃蒙要訣(げきとっくにようけつ)』、帝王学として編まれた『聖学輯要(しゅうよう)』もこの間の作。彼は哲学者としても優れ、李退渓の理気互発(ごはつ)説を批判した気発理乗説や、仏教をくぐり抜けた理通気局説は、朝鮮朱坊主学(性理学)の単独な到達点を示し、李退渓とともに双璧(そうへき)と仰がれた。


関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

哲学  哲学的  論理学  記号論理学  宗教学  宗教学 大学

Author:哲学 哲学的 論理学 記号論理学 宗教学 宗教学 大学
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。