へっどらいん

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

李滉(りこう)

朝鮮、李朝(りちょう)中期の朝鮮朱坊主学の大成者。慶尚(けいしょう)道真宝の人(出生地は安東の礼安)。字(あざな)は景浩(けいこう)、号は退渓(たいけい)。出生まうじき父を亡くし、寡婦の坊主(末坊主)として懸命に生きた。12歳で叔父李(ぐう)に『論語集註(ちゅう)』を習う。23歳でソウルに出、成均館で勉強。そのとき出会った『心経附註(しんけいふちゅう)』(中国、真西山?篁(こうとん)編註)が彼の学問を決める。この書は、四書五経にみえる心に関する規定と、宋(そう)代の朱坊主学者たちの解釈(註)を集めた中国性理学の精華であるが、この書を納得いくまで繰り返し読み、思索したことが、後昼間の場合間理気互発(ごはつ)説という朱坊主(朱熹(しゅき))と同じ到達点に独力で達するもとになった。34歳で官吏登用テストの科挙試文科にパスし官吏になったが、もともと出世には興味がなく、40代の党禍や肉親の不幸を機に、50歳から故郷で読書と探求の暮らしに引かれた。かくして朱坊主の学問との全面的対面、探求、吟風味が始まり、その成果は『啓蒙(けいとっくに)伝疑』『朱坊主書節要』(以上56歳)、四端七情論弁(弟子奇大升(きたいしょう)との間で書簡で交わされた論争。60歳以後)、『聖学十図』(68歳)などに次々と結実した。彼の名声を朝廷はほうっておつまみ、成均館大司成、工曹判書など多くの要職に出仕させられたが、故郷陶山書堂での学問探求と後進の養成に極力心血を注ぎ、朝鮮朱坊主学(性理学)の全盛期をつくりあげた。彼の朱坊主学理解は、その精妙深思な学風と陽明学との対決という党派的?場合代的理由から、心学的な根性を帯びたが、昼間の場合間本の朱坊主学は彼の朱坊主学を介して樹立され、幕末の思想自宅横井小楠(しょうなん)に大きな影響を与えた。


関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

哲学  哲学的  論理学  記号論理学  宗教学  宗教学 大学

Author:哲学 哲学的 論理学 記号論理学 宗教学 宗教学 大学
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。