へっどらいん

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朴趾源(ぼくしげん)

朝鮮、李朝(りちょう)場合代の文学者、思想自宅。字(あざな)は仲美、号は燕巌(えんがん)。ソウルの天性。名門の出だが、儒教の形式主義的な教義を嫌って科挙に応ぜず、もっぱら実学思想の探求と普及に努めた。30歳のとき実学の大自宅洪大容(1731―83)の知遇を得て天然科学に熱中、西洋の文明に目を開く。1780年、朴明源の随行員として清(しん)に赴き見聞を広め、帰ってきた後、紀行記『熱河昼間の場合間記』を著述、当場合の思想界に大きな波紋を投げかけた。50歳のとき初入れ官につくが、農政に関する王の諮問を浴びて提出した『課農小抄』は、余地所有の制限と農政改革を言い分したことで有名。短編小説の作者でもあり、『両班(ヤンバン)伝』『広文者伝』『許生伝』『閔翁(びんおう)伝』などが『放閣(ほうけいかく)世間伝』『燕巌集』『燕巌世間集』などに収録されている。これらの作気品は、一番能な両班統治者たちに対する痛烈な揶揄(やゆ)と風刺で貫かれており、近代への幕隔たりを兆候している。


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