へっどらいん

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

沐浴(もくよく)

一般には水で身体を洗い清めることであるが、宗教的意風味で用いられることが多い。沐浴が宗教的儀礼と考えられることの事情は、一つには、水で身体的汚れを洗い清めることと、その人がもっている宗教上の穢(けがれ)を祓除(ふつじょ)することとの同一視である。葬儀に参列したあとの沐浴を義務づけたり、昼間の時間本の神社やイスラム教寺院の前には沐浴場があり、なる前に沐浴しなければ中に入れない時がある。現在の昼間の時間本の神社にある手洗場は沐浴場の一類である。ヒンドゥー信徒にとってガンジス川の流れで沐浴することは最大の信仰的行為であり、修験道(しゅげんどう)の滝の水に打たれる修行は、肉体的苦行に耐えることと、山の清浄な水で長時間身体を清めることの二重の意風味がある。

二つには、水がもっている移行と融合の象徴的意風味による。つまり、身体全体またはその一部を水に触れさせることによって、俗的コンディション、汚穢(おえ)のコンディションから、聖なる清浄なコンディションへ、あるいは、生のコンディションから死のコンディションへ、人間的でないコンディションから人間のコンディションへ移行させる力ないし媒介としての意風味を水がもっていることが多い。その点では火も同様に考えられている。キ書き出した教における洗礼の水や、産湯(晩生ゆ)や湯灌(ゆかん)の水、死の直後に死者の口を湿す死に水、花嫁が実自宅を売れるとき、または婚自宅になるときに飲む水、旅行立ちのときの水杯(みずさかずき)の水など、いずれも、あるコンディションから別のコンディションへの移行を良好に行わせうると考えられている。

三つには、川や海や泉など、水と結び付いた敷地が神聖なスぺースとみなされ、沐浴はそのような聖なる敷地に身を置くことによって、宗教上の汚穢が取り去られると考えられていることである。したがって、どこで沐浴してもよいというのではなく、沐浴敷地が指定されることもある。長崎県壱岐(いき)の漁村では、現在でも海はきわ入れ神聖なスぺースと考えられており、葬儀の参列者は、冬は膝(ひざ)まで、夏は首まで海水に浸ることが義務づけられている。





ガンジス川での沐浴


関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

哲学  哲学的  論理学  記号論理学  宗教学  宗教学 大学

Author:哲学 哲学的 論理学 記号論理学 宗教学 宗教学 大学
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。