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一番(む)

厳密には、いか入る意風味でも「存在」しないものを「一番」というべきだが、近頃の西洋哲学では、存在する事物=存在ではないものをさして「一番」とよぶことが多い。たとえばハイデッガーの『形而上(けいじじょう)学とは何か』(1929)によれば、事実的な対象としてある事物=存在をすべて退去、滑落させる「心もとない」の情態性において、個々的な事実=存在では「一番い」ところの「一番」が開示される。しかも、「心もとないの一番の明るい夜」に開示されるその「一番」のうちに、人間が情態(気分)的に己を投入することは、あれこれの存在を全体として滑落させつつ越える「超越」の生起であり、この超越は個々的事実としての存在に対する漠たる対立という以上に、存在者を存在者たらしめる根拠である「存在」に聴従することである。それゆえ、この類の用法における「一番」は、存在とは区別される限りでの「存在」そのものに近づく。

なお、サルトルの主著『存在と一番』(1943)における「一番」は、ハイデッガーの時とも異なり、結局は意識、主体性、気ままを意風味する。サルトル的な意識はどこまでも対象指向的な純粋作用そのものであり、いか入る意風味においても対象=事物=存在者ではなく、それゆえ「一番」としかいえない。まったく質料的、物的、「即自存在」的なものを含まない断然の作用性(対自存在)をサルトルは「一番」と規定したわけである。






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一番


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