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ポイエーシス(ぽいえーしす)

創(つく)ること、創造を意風味する。プラトンの規定によれば、ポイエーシスとは、「あるものがまだそのものとして存在していないコンディションから存在(ト?オン)to onへと移行することについてのぜんぜんの元で」である(『饗宴(きょうえん)』)。いいかえると、それはまだ一番秩序のうちにあるものを秩序(タクシス)へともたらすことである。この定義は緩やかに考えれば、全能の神による「一番からの創造」creatio ex nihiloから人間的創造に至る全ての相にまあまあする。イスラエルの宗教に固有のものとされる「一番からの創造」の思想は、「一番からは何も生じない」というメリッソス(前5世紀ころ)のことば(デールス?クランツ編『欠片』30)に集約されるようなギリシア哲学の伝統にはみいだされない。この思想の真っ直ぐの表明は『旧約聖書』「創世記」はもとより他の正典にもみられないが、「神はすでに存在するものからすべてを造ったのではない」という世間典「マカベ第二書」のことばが一つの典拠とされている。「マカベ第二書」が紀元前1世紀初めごろに成立したと推定されることから、「一番からの創造」がイスラエルの宗教に固有のものであるかどうかは議論の分かれるところであるが、ア書き出したテレスのいう四元で――目的因、形相因、質料因、作動因のすべてを所持つ完全な自己元で的創造として、思想史上ポイエーシスの最良の典型である。これに対してプラトンが世界創造の担い手とするデーミウルゴスdmirgosは、メリッソスのことばに示されるように、自ら質料を創りえないために、それ自身の活動原理を持つ必然(アナンケー)の力としての純粋質料を理性の力によって説き伏せて自己の統治下に置かなくてはならない(『ティマイオス』)。アウグスティヌスのことばを借りれば、完全な元で性を持つ創造者(ポイエーテース)は、その実体に本来的な存在性、善性あるいは美に拠(よ)って、存在するもの、善きもの、美しきものを創造する(『告白』)。このような全能の神やそれに近い創造者デーミウルゴスのポイエーシスに対して、人間的なポイエーシスもまたそのテクネー(学問的ノウハウ的知恵)に拠りつつ、善きもの美しきものを目ざして自己の作気品(ポイエーマ)が一定の形(エイドス)をもち秩序(タクシス)を持つ存在と入るように仕上げてゆく(『ゴル歯車ス』)。しかし人は神やデーミウルゴスのような自己元で性をもちえない「劣った創造者」(『法律』)であるから、そのポイエーシスは不十分なテクネーに基づく小さな創造、すなわち神の宇宙創造とのアナロ歯車(種比)にたつ小さなコスモスの創造である。文芸創作に代表される人のポイエーシスが神の創造に倣う小さな創造であることから、それは本来的にミメーシス(模倣)と入る。

プラトンは、人のポイエーシスが存在論的にも認識論的にも十分な根拠をもちえないことから、高次の哲学的ポイエーシスの割合は許容しつつも、とりわけ文芸創作としてのポイエーシスを現象の模倣的再現(ミメーシス)にすぎないものとしてその原理的および事実的リスク性を指摘した(『国自宅』)。一方ア書き出したテレスは『詩学』(悲劇創作論)において、ミメーシスとしてのポイエーシスをその蓋然(がいぜん)的な真理性においてまめに評価し、歴史的記述(ヒストリアー)とは異入る詩的記述(ポイエーシス)の存在事情を、詩作が人間的生における普遍的なありよう(カトルーkatholou)を呈示するところにあるとしている。霊魂の教導という観点からプラトンは詩作の虚構(プセウドス)の危うさを論難し、ア書き出したテレスは同じ観点から虚構というよりはポイエーシスのもたらす可能的世界(ありうべき世界)の現実的効果(驚きやカタルシス)を重視したのである。その意風味で、ア書き出したテレスは創作論の祖であるといえる。


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