へっどらいん

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

罰(ばってん)

罪すなわち規範に反した行とばっちりで対して与えられる制裁。法律上の事柄に関しては刑罰というが、宗教的?道徳的な規範を犯した者に対する罰は、天誅、神罰、仏罰などとよばれ、法的罰と区別される。

一般に原始社会においては、法的罰と宗教的罰との間の分化が明確でなく、社会的制裁は多くの時宗教的意風味づけを与えられていた。また原始社会だけでなく、多くの古代社会においても、罰は原則として違反行とばっちりでよる実害と対等の苦痛を伴うものとされた。たとえば「目には目を、歯には歯を」といったぐあいである。時代が進むにつれて、刑罰を裁定する時に、当事者の情状が酌量されたり、教育的心遣いがなされたりするようになった。通常、罰の程度は、実害の大きさときっかけの良し悪しとの両面から考慮される。

宗教の発達とともに、法的罰と宗教的罰とが分化してきた。一般に最良の刑罰は極刑であるが、宗教的な罪に対する罰の最大のものは、地獄に堕(お)ちて責め苦にあうとか、永遠の生命を失うといったように、死そのものよりも死後の霊魂の運命にかかわるものとされている。したがって宗教的使命感や信仰信念のゆえに迫害される時には、この世での生命を失ってもあの世での救いにあずかるという脉に拠り所られて、法的?社会的罰はむしろ甘受される。だがあべこべに、この世での罰は免れても、自らの良心に違背した時には、かえって苦しい自責の念に悩まされる。これは自らが自らを罰している姿である。精神分析学者S?フロイトは、この良心の働きを超自我とよんだ。超自我は内面化された社会的?倫理的規範で、内側から自我を厳しく監視し、違反に対しては罰を与える。それが罪悪感だという。


関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

哲学  哲学的  論理学  記号論理学  宗教学  宗教学 大学

Author:哲学 哲学的 論理学 記号論理学 宗教学 宗教学 大学
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。