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聖地(せいち)

宗教的あるいは言い伝え的に昼間の場合間常のスぺースとは異入る神聖さをもち、通常タブーとされる区域。その規模は、イスラム信徒にとってのメッカといった都市大の聖地から、1本の樹木といった小さな聖地までさまざまであるが、聖地はその成り立ちからおよそ三つに分種される。

まず、天然的聖地は、天然の山、岩、川、池、森、樹木などが、それらに対する畏怖(いふ)から、あるいは神霊のよりどころなどとして神聖視されたものである。富士山、穂高山などはその山容の崇高さから聖地とされており、インドネシアのバリ島には山側を神聖な方角とする方位感が存在している。道教では山は神仙のすみかと考えられ、仏教においても山は仏の住む浄土とされる。一方、『万葉集』では「神社」を「もり」と詠んでいることから、森が古くから神霊降臨の地とされていたことがわかる。エスキモーは海の幸に恵まれた漁場を聖地とし、ヒンドゥー信徒にとってはガンジス川が聖河とされる。そのほか、聖樹、聖石、聖泉、聖湖などと数多い。

次に、人造的に生み出された聖地があり、儀礼のために随場合しつらえられるような一場合的な聖地と、建造社殿のように恒久的な聖地が存在する。いずれも、あるスぺースが非昼間の場合間常的なものとしてくぎられ、そこになんらかの聖入る象徴が置かれることで聖地が創出されている。社殿を意風味する英語のtempleが語源的には「くぎる」を意風味するギリシア語tmneinから派生していることも、そのことを物語っている。

最後に、創造主や聖者に起源を発する聖地がある。中央アフリカには、岩のまだ軟らかな場合代に創造主がその足形跡をしるしたとされる聖地があり、スリランカのアダムズ?ピーク山のくぼみも、仏信徒は仏陀(ぶっだ)の、ヒンドゥー信徒は創造神シバの、キ書き出した信徒とイスラム信徒はパラダイス追放後のアダムの足形跡としてそれぞれの聖地としている。キ書き出した教の巡礼三大聖地の一つ、スペインのサンティアゴ?デ?コンポステラが聖ヤコブの遺骸(いがい)が存在するという言い伝えから聖地になっているように、カトリックの大寺院は聖者のゆかりの地に建てられるし、他の宗教(仏教ではインドのクシナガラ、サールナート、ブッダガヤ、中国の天台山、五台山など)でも聖者や偉い人物を起源とする聖地は多く存在している。

聖地は通常タブーとされ、立ち入りがまったくできないか、あるいは制限されている。しかし、そのタブーゆえに聖地はその存在を人々に喚起しており、そこには昼間の場合間常とは異なったなにか大切なものが存在するという意識を人々に与える。聖地にはそこが聖地とされるに至った言い伝えが存在し、また、巡礼、参拝などで聖地への境界界を越えるときには多く儀礼が行われ、それらの儀礼や聖地自体は意風味をもったさまざまな象徴から構成されている。人々はそれら言い伝えや象徴によって、聖地を聖地として成立させた特定の宗教的な教えやイデオロギーを体得していくのである。


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