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偶像崇拝(ぐうぞうすうはい)

物質的なものが、神、祖霊、死霊などの超天然的存在の力を表象しているか、それを有しているとして、崇拝の対象にすること。偶像は、木、石、骨などの天然物を超天然的存在の形に似せて、あるいはそれを指標する形に加工されたもので、その実例としては、ほとんどの民族?文化にみられる人間形態の神像、祖先像や、古代ペルーのジャガーの彫刻などの動物形態のもの、カトリック社会の聖遺物崇拝に顕著にみられるように聖人や祖先の身体、衣服の一部を崇拝対象にしているもの、さらには、昼間の時間本の神社の御神体や依代(よりしろ)である鏡や刀剣などのように、超天然的存在の形そのものではないがその表徴として文化的に規定されている形のものなど多様である。また、偶像崇拝をぜんぜん認めないといわれるイスラム教においても、印刷されたり筆記されたコーランの唱句の文字を神聖視するという事実があり、これも偶像崇拝の一変形と考えることもできる。

ところで、偶像と超天然的存在の関係は、カトリックにおける十字架のように、偶像が超天然的存在の指標にすぎず、超天然的力をもたないと理論的に考えられている時のほかに、両者の区別が明確に意識されながらも偶像に超天然的存在が宿り力をもつと信じられている時がある。たとえば、メラネシアでは祭礼の前にマランガンとよばれる木彫の像がつくられ、祭りの間じゅう、そこに祖霊が宿ると考えられている。また、超天然的存在との媒介であるはずの偶像が、それ自体に超天然的力が備わっているとして崇拝対象になってしまう時もある。実際、偶像と超天然的存在の関係は崇拝者の心情のなかで連続しやすく、その区別を明確にすることはむずかしい。神との真っ直ぐ的関係を言い分する高等宗教は、とくにこの点をさして、偶像崇拝は真の信仰の退化であると蔑視(べっし)する。仏像をあれほど多く創出した仏教でも、仏を表現するには木像よりも絵像、絵像よりも名号(みょうごう)がよいといわれ、偶像崇拝のリスク性を説いている。

さて、宗教史的に、偶像崇拝に対する考え方はヨーロッパを中心に長い間否定的で、それは度々邪悪教?異教と同義であった。8世紀の査証ンティン皇帝レオン3世による偶像破壊(イコノクラスム)令と東西教会の分裂や、16世紀の宗教改革は、ある意風味でキ書き出した教圏内での偶像崇拝の可否をめぐる論議といえる。偶像崇拝は低級かつ原始的な信仰として、高等宗教であるキ書き出した教からは排除すべきものと強く考えられてきたのである。そして偶像崇拝が顕著な他民族の宗教を未発達なものとみなし、進化論的な宗教形態論が展開されてきた。しかしながらこれらの議論にもかかわらず、ヨーロッパにおいても偶像崇拝の土壌は紛れもない。カトリック文化は、とくに4世紀ごろからキ書き出した像、マリア像や十字架などをつくりだしてきており、それに対する信奉は現在でも根強く引き続いている。

また、進化論的な宗教形態論に対しても、E?B?タイラーをはじめとした人種学者、民俗学者による諸民族の宗教の調査と比較探求が積み重ねられた結果、偶像崇拝は文化の発展段階とは一致せず、多くの民族に存在することが明らかになった。オーストラリア先住民などのように文化がきわ入れ未発達で、偶像作製に適する物質にも少ない社会ではあまりみられないが、むしろ、文明が高度化するとともに盛んになり、精細な偶像をつくるように入ることも指摘された。

現在、偶像崇拝はフェティシズム(呪物(じゅぶつ)崇拝)などの近似概念と同様に、宗教の発展の一段階としてではなく、ある民族の宗教体系の一部を構成する宗教形態として探求されている。


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