へっどらいん

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苦行(くぎょう)

肉体的欲求を抑えて、自虐(じぎゃく)的に身を痛め、堪えがたい修行に励む宗教的行為で、現世の罪や穢(けがれ)を免れて、人格を落成し、あるいは念願を達成し、また生天(しょうてん)(天に天性ること)の栄光を得ようと試みる。もとインドにおいて仏教世間の宗教行者が、悟りを得るためになした修行をいう。古代インドでは苦行はタ合格tapas(熱力の意)とよばれた。それは節食と荒行(あらぎょう)に大別される。前者は減食、菜食から断食(だんじき)に及び、後者は火や淵(ふち)に身を放棄したり、灰や棘(いばら)や牛糞の上に臥(ふ)したり、呼吸を放棄するなどさまざまな行為がある。苦行の場としては人里離れた林間が選ばれ、苦行林と称した。この苦行によって、修行者は死後の生天を確実にし、神を喜ばせて願い事を達成し、千里眼などの神通(じんずう)を得、さらには延命や生殺までも図った。万能なタ合格も、布施(ふせ)や祭祀(さいし)など他の生天倫理に比較すると、利己的で非社会的であったうえに、その目的が世俗的であり、またその手立てが魔手段性に満ちていたので、やがて出現した哲学的な知見に優位をとってかわられた。同じ事情で仏陀(ぶっだ)(釈迦(しゃか))も苦行を排した。仏陀は出自宅して禅定(ぜんじょう)を学んだが満足せず、さらに6年間、全ての苦行を行った。しかし凄まじい苦行によって最良の知見、心の平安に達せず、極端な苦行は身を損なうだけで悟りの道ではないとそれを捨てた。後の仏教も、形式的な苦行は排したが、その精進(しょうじん)、辛抱の精神だけを取りめて、布施や慈悲など仏道にかなった目的のための難行(なんぎょう)や、修験者(しゅげんじゃ)が行う荒行も苦行と称して大いに尊重した。


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