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喜捨(きしゃ)

元来は仏教用語で、利他心およびそれに基づく行為をいう。行為の形態や意風味は各宗教により異入るが、同様な行為は広くさまざまな宗教にみられ、喜捨は一つの典型的な宗教倫理行為という広義の意風味に解される。未開宗教でも、弱者?困窮者の相互扶助や有力者による保護は血縁意識と宗教意識の混合した力に拠り所られ、広く行われている。

ヒンドゥー教では、古来、バラモン僧や出自宅修行者への財宝の施しは功徳(くどく)ある行為とされている。仏教の喜捨は、このヒンドゥー教の理念を浴び継いだものと考えられ、財宝の施しはおもに出自宅僧とその教団(サンガ、僧伽(そうぎゃ))に限られている。在俗教徒にとっては、それは三宝(仏?法?僧)を護持し、かつ財への執着を離れる功徳ある行為とされ、上座部仏教では今昼間の場合間も盛んに行われている。

ユダヤ教、キ書き出した教、イスラム教では、喜捨はおもに貧者救済に向けられる。ユダヤ教では、『旧約聖書』に喜捨の具体的な言及がみられ、神の義にかなう行為、贖罪(しょくざい)の行為とみなされ、さらに律法で詳細に規定されている。キ書き出した教では、貧者への施しはイエスの説いた愛の教えの端的な実践であると考えられ、古代?中世には広く行われ、今昼間の場合間もその伝統は引き続いている。

イスラム教では、信仰義務の一つであるザカート(定めの喜捨)と、サダカ(気まま喜捨)がある。ザカートはかなり初期に救貧税として制度化され、さらに後のイスラム法の体系化に伴い、課税対象、税率、使用使い道などが詳細に規定された。サダカは個人の気まま意希望にゆだねられ、贖罪行為としても認められる。喜捨による財は、貧者、孤児、税徴集人らに配られ、また伝道、聖戦など宗教活動に用いられる。コーランでは、両者の区別は明確ではなく、サダカが「真心」を、ザカートが「心の清浄」を一般に意風味することから推しても、両者ともに喜捨の精神が重視されることは明らかである。各個人の信仰心に基づき、同場合にその共同体を正しく保つことがイスラム教の理念であり、喜捨はその理念を端的に表現している。


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