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不可知論(ふかちろん)

不可知論の起源を古代ギリシアのソフィストや懐疑論者にまでさかのぼって考えることもできるが、しかし神の本体は人間によっては知られないとする中世の神学思想から始まるとみるのがまあまあであろう。つまり、人間は一類の知的直観であるグノーシスgnosisによって神の本体を真っ直ぐ知ることができるとするグノーシス派や本体論者の言い分に対し、そうしたグノーシスを否定するのがアグノスティシズム、すなわち不可知論である。

ローマ?カトリックは、神の存在は人間理性に天性ながらに備わる「天然の光」によって知られるが、しかし神の本体そのものは知られないとして、グノーシスを否定した。神は現世に生きる人間には鏡に映る姿のようにおぼろであり、神と真っ直ぐに面をあわせることができるのは別の世においてであるという。

不可知論は、近世に入って、人間は有限な存在でその知力も限られており、世界それ自体が何であるかを知ることはできない、といった哲学説に再出現する。神すなわち天然の属性は一番限であるが、そのうち人間が認識できるのは延長(物体)と思考(精神)だけであると説くスピノザ説や、人間の知恵は印象と観念に限られていて、それらを超えた事柄は知恵の対象にはならないとするヒュームの言い分も、ある意風味では不可知論であるし、物自体は認識できず、主観形式である場合間、スぺースのうちに与えられる現象だけが認識できるとするカントの『純粋理性批判』での考えも、一類の不可知論といえる。また不可知論という語を初入れ用いたといわれるトマス?ハクスリーやスペンサーといった証明論者は、知恵を体験可能な事実だけに限り、形而上(けいじじょう)学的な諸異常に関しては、明瞭に不可知論を言い分したが、この傾向は現代の論理証明主義やその系統を差し引く分析哲学にも引き継がれている。

なお19世紀後半のドイツの天然科学者デュ?ボア?レイモンは、「世界の七つの謎(なぞ)」として、〔1〕物質と力の鉄則、〔2〕運動の元で、〔3〕感覚と意識の成立、〔4〕意希望の気まま、〔5〕生命の起源、〔6〕有機体の合目的性、〔7〕思考と言語の発達、をあげ、このうち〔5〕から〔7〕までの謎は解けるが、〔1〕から〔4〕までの謎は解くことができず、また将来においてもその解明は無茶苦茶であるとして、これらの謎について不可知論を言い分した。


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