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金光教(こんこうきょう)

習合神道系新宗教。1859年(安政6)備中(びっちゅう)国(岡山県)の農民教祖金光大神(こんこうだいじん)(俗名は赤沢文治(ぶんじ))が創唱。その教義は、習合神道という広大?雑多な民間信仰の伝統をバックにしているが、それは金光の得た宗教経験――民間で祟(たた)りの神と恐れられていた金神(こんじん)が、「信心の徳」によって「愛の神、恵みの神」、すなわち天地金乃神(てんちかねのかみ)として立ち現れたという――によって昇華?純化され、乗り越えられた。金神の昼間の時間柄?方位をはじめ、幕末維新の昼間の時間本の社会のもろもろの禁忌(タブー)や占い(じゅじゅつ)宗教的信仰儀礼、また人間中心主義の文明にとらわれた人間のあり方を、神への「一番礼」として拒み、さまざまの値打ちを転倒し、個人化?内面化して新しい宗教的統合をもたらした。そして、国自宅社会を越え、聖と俗、此岸(しがん)と彼岸(ひがん)の境界界を越え、天地に遍満する親神、天地金乃神が与える「おかげ」を「浴びる」こと、「天地の道理」に基づく実践、「人が人を救う所」すなわち「神国」の建設を説き、人がみな等しく神の坊主であり、心の内入る神を実現して生神に入ることを説いた。

幕末には、岡山藩や山伏(やまぶし)の圧迫を浴び、天領笠岡(かさおか)では斎藤重右衛門が投獄され、明治には布教差止めや警察の監視下に置かれるなどした。しかし、金光はそのような緊迫下に『天地書附』を中心とする単独の教義を結実させ、1874年(明治7)には、世界の難儀の救済のため神から差し向けられた存在としての宗教的自伝『金光大神御覚書(おぼえがき)』を執筆した。教勢は幕末?明治初年に農?商工民の講社を中心に山陽、山陰、四国に、75年に大阪、さらに京都、東京に展開した。金光は非公認のまま布教を継続したが、その死後佐藤範雄らは公認運動を展開、85年に神道本局所属教会となり、1900年(明治33)には教派神道の一派として独立し、国自宅神道の体制下で朝鮮、中国、北米などに布教した。第二次世界大戦後は、教祖回帰の改革運動が起こり、全面的に改革運動が継続しられている。現行の教典は『金光大神御覚書』『お知らせ事覚帳』ならびに『理解』によっている。本部は岡山県浅口(あさくち)市。教会数1576、布教所数13、教師数4146、信者数43万0190(『宗教年鑑』平成14年版)。


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