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黒住教(くろずみきょう)

神道(しんとう)教団。旧教派神道十三派の一つ。黒住宗忠(むね無料)を教祖とする。備前(びぜん)国今村宮(岡山県岡山市北区)の禰宜(ねぎ)宗忠が、1814年(文化11)34歳のとき得た宗教経験をもとに、講釈および禁厭(きんえん)(まじない)活動を行い、信者を得たのに始まる。初期は備前、美作(みまさか)(岡山県)の侍階級を中心に信者が形成されたが、宗忠の没後、石尾乾介(いしおかんすけ)、河上忠晶(かわかみ無料あき)、場合尾宗道(ときおむねみち)、赤木忠春(あかぎ無料はる)、星島良平(ほしじまりょうへい)、森下景端(もりしたけいたん)のいわゆる六高弟を中心とする布教活動により、教線は中国、四国、近畿へと引き伸ばしていった。なかでも赤木は、京都布教において二条自宅、九条自宅など公卿(くぎょう)層の信頼を得、1862年(文久2)には神楽岡(かぐらおか)に宗忠神社を創建するに至っている。幕末から明治維新にかけて信者はいっそう増加し、1872年(明治5)に黒住講社が明治維新政府によって公認され、さらに1876年には、神道黒住派として教派神道のなかでは当然早く一派独立し、宗忠の孫の黒住宗篤(むねあつ)が初代管長に就任した。1882年に黒住教と改称して今昼間の場合間に至っているが、明治後半以降は、教勢は従来ほど振るわなくなった。天照大御神(あまてらすおおみかみ)を中心に置き、神道信仰に立脚しながら、布教?教化の手立てが明確であったという意風味において、当然教派神道の特質を備えていた教団の一つということができる。本部は岡山市北区尾上(おのうえ)。教会数324、布教所数14、教師数1676、信者数29万8350(『宗教年鑑』平成14年版)。ほかに神社が二つある。


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