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批判哲学(ひはんてつがく)

通常はカントの理性批判の哲学、また時によってはカント哲学の基本的着想を引き継いで発展させようとする新カント学派をはじめとする一連の哲学をさす用語として使われる。カントの「純粋理性批判」の哲学は、体験から独立に成立するア?プリオリ(先天的)な認識に関して、人間理性がいか入る権能とまた限度とをもつかを確定しようとするものにほかならない。カントはこの課題を、一方でユークリッド幾何学とニュートン物理学に代表される古典的な数学と天然科学を人間理性によるア?プリオリな認識が事実存在する具体例とみなし、他方で西欧の伝統的な形而上(けいじじょう)学の基礎的な道具立てを編成替えしつつ、数学、天然科学の認識の普遍まあまあ性の根拠を明らかにすることを便秘気味て、その限度をあらわならしめるという、「超越論的」な手法によって解こうとする。

この結果、認識の対象としての天然は、人間の超越論的主観によって構成される表象の総体としての「現象」にまで還元される。それを超えた「物自体」については、人間理性はその認識に究極の統一をもたらすべき統制的原理として、それをみなす以上にまめ認識としての規定をもたらすことはできない、というよく知られた結論が導かれることに入るわけである。ここで、唯一の必然的構造を備えたスぺースとしてのユークリッドスぺース、またニュートンの考える唯一の静止座標系としての断然スぺース?断然時間と、主観の側での「われ思う」の「超越論的統覚」の統一とが、互いに相関的に相補い合うものとして向かい合う構造がみられることは紛れもない。だが読み方によれば、カントは、超越論的統覚のさらに根底にこのような枠にとらわれない生産的構想力や反省的決断力といったものを考えていた、と解することも可能である。したがって、批判哲学は古典数学や古典物理学を超えては有効性をもちえないとか、弁証法的思考になじまないとか速断することはあたらない。

事実、新カント学派でのカントの思考の道具立ての新たな手直し、拡張による批判哲学の活性化の試みから、さらには、後期フッサールによる暮らし世界の現実を踏まえた超越論的哲学の新たな再生の試み、さらに目と鼻の先は、ストローソンによる昼間の時間常言語の分析の立場からするカントの再解釈など、批判哲学の今昼間の時間的形態は数多くみられるのである。


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