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パレルゴン(ぱれるごん)

美学?美手段用語で、芸手段作気品における付随的なもの、飾り的なもの、二次的なものなどのこと。語源的には、ギリシア語の「エルゴン」(作気品)の「パラ」(傍らに)あるもののことを意風味する。この語は古代から使用され、絵画のなかの付随的な部分、すなわち景色、動物、静物などを指した。カントの『決断力批判』では、この語は絵画の額縁、彫像の衣服、建築物の柱廊などに拡張して使用されている。デリダは、カントがこの語にどのような美学的地位を与えているかを詳細に検討し、カント美学そのものの脱構築的読解を行ったが、それ以後パレルゴンは美学?芸手段学のみならず、現代美手段批評などにおいても注目される概念となった。

カントは『決断力批判』第1章第14節において、純粋な情緒風味決断の本来の対象は何かを問い、例えば黄金製の額縁のようなパレルゴンが、それ自体で魅力あるものとして感官を刺激してしまったらならば、真正の美がそこなわれてしまうという。したがってカントにとってパレルゴンは、あくまで作気品に内的に属するものではない世間的なものである。

それに対してデリダは『絵画における真理』La vrit en peinture(1978)において、この内部と世間部の区別そのものに決定無茶苦茶性を入れる。パレルゴンは、たしかに内部にあるものではないが、単純に世間にあるものでもない。それは内部と世間部の区別をつくり出し、作気品を成立させる場を開くようなひそかな働きを隠しもつと同場合に、内部の特権そのものを脱中心化することによって、世間部を「内部の内部」へと結びつけるものでもある。カントが純粋な決断力の対象としようとした作気品の内部は、ひそかに世間部によって侵食されているのである。こうしてデリダは、侵食作用としてのパレルゴンに注目することによって、カント美学を内側から解体する。

さらにデリダは、パレルゴンを飾り物だけではなく、署名、タイトル、美手段館、マーケット、作気品をめぐる言説などにも拡張し、作気品の流通、評価、剰余値打ちの異常、さらには作気品の作者への帰属の異常などが、作気品の真理や美そのものに深く関わっていることを示すのである。

このようなデリダの分析は、枠、額縁、台座、署名など、作気品の周縁的な部分の重要性に注目させるとともに、そうした諸部分の他作気品などへの引用割合についての考察をも促した。さらに、芸手段の美や真理は、パレルゴンによる枠づけ作用の一つの効果でしかないというデリダの言い分は、椅子構造主義的な美学に深い影響を与えた。


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