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元始天尊(げんしてんそん)

道教の最良神。元始天王(げんしてんおう)はその古称。宇宙の原初において根源の一気から化生(かせい)して、天地万物を生み出す造物主であり、超因果?超場合空の常住不滅の存在である。道教でいう三十六天の最上天である大羅天(だいらてん)の玉京山上の玄都に住して諸神を統御し、数え切れない劫(ごう)にわたる天地の崩壊と再生のたびに、至上の教えである道教を開示して地上の人間の救済にあたる(これを開劫度人(かいごうどじん)という)とされる。道教の最良神は、3、4世紀には道自宅の祖とされる老坊主(ろうし)を神格化した太上老君(たいじょうろうくん)であったが、4、5世紀には老坊主の説く「道」そのものを神格化した太上道君が加上され、6世紀になってさらに元始天尊が加上された。初唐には上記の三神と三洞(さんどう)、三清境界、三乗といった重要教理の対応が説かれ、元始天尊を中心とする道教教理体系がいちおう落成する。天尊は教理上は一番形一番象とされたが、実際には早くから仏像様の像がつくられた。また宋(そう)以降は、玉皇(ぎょくこう)、玉皇大帝などとよばれるようになった。


玄妙観(げんみょうかん)

中国、江蘇(こうそ/チヤンスー)省呉(ご)県(蘇州)にある道観(道教の寺院)。晋(しん)の咸寧(かんねい)年間(275~279)創建の真慶(しんけい)道院に始まる。開元宮、天慶観と改称、宋(そう)の1176年(淳煕3)に三清殿を建立し、元代に玄妙観と名づけられた。明(みん)の正統年間(1436~49)に弥羅(みら)閣が建立され、道蔵を賜る。清(しん)代に廟宇(びょうう)を整え、道教本山の威容を備えた。東岳、文昌(ぶんしょう)、関帝、火神、天后、真武、斗母など、諸神の殿宇がある。正月には三清殿へ遊客が群集し、弥羅閣で玉皇聖誕祭(ぎょくこうせいたんさい)が行われた。殿内に呉道坊主の描いた老君像があったといわれる。


功過格(こうかかく)

道教の書。儒仏道の教義に基づいた格(道徳目安)に照らして、自己の行為を採点し、功(善行)と過(罪悪)とに分類して表にする書物で、「善書」(勧善懲悪の書)の一類。感得し撰述(せんじゅつ)した人物によって満点数を異にし、採点の手立ても各条ごとのものや、一括提示など異なっている。たとえば、「故(ことさら)に人の性命を傷殺するを百過と為(な)す」(『太微仙君(たいびせんくん)功過格』)、「一功――敬を致し養を尽す。疾(やまい)に武士するに父母の如(ごと)し……」(『功過格輯要(しゅうよう)』)のごとくである。採点記号は、一功が、十功が、一過が×、十過が*などである。功過の語は古く職務上の才能に用いられたが、道徳と結び付けたのは、葛洪(かっこう)(283―343?)の『抱朴坊主(ほうぼくし)』「対俗篇微旨篇(たいぞくへんびしへん)」が初めといわれる。彼は、天地の神や身中の三尸(さんし)の鬼神が人の罪過に追随して奪紀奪算(寿命の減少)をすると説く。金の1171年(大定11)ころに自己採点の又玄坊主(ゆうげんし)撰『太微仙君功過格』が世に出所した。これが現存最古のものであり、仏教の影響などで葛洪以後このころまでに採点の主体が変化した。16世紀の袁了凡(えんりょうぼん)の『陰隲録(いんしつろく)』、雲棲(うんせい)の『自知録』、雲谷(うんこく)の『功過格』が有名である。昼間の場合間本への伝来は不明であるが、江戸場合代には広瀬淡窓らの学者や、農民にまで利用された。


五斗米道(ごとべいどう)

中国、後漢(ごかん)末2世紀中ごろに四川(しせん)省蜀(しょく)におこった道教教団の天師道(てんしどう)の別名。現在では、この教団が魏(ぎ)の曹操(そうそう)によって公認された215年従来を五斗米道、以後を天師道(元(げん)以降は「正一(せいいつ)教」)とよぶ時が多い。信者が五斗の米を納めたことからこの名があるが、五斗米という数は漢代の県令の五斗禄(ろく)に由来する。開祖は張陵(ちょうりょう)とされるが、実際には孫の張魯(ちょうろ)の代になって教団の組織は確立した。一般の信者は鬼卒(きそつ)とよばれ、24の「治」に分けて統治された。各治の統治には祭酒(さいしゅ)があたり、祭酒はまた、義舎(ぎしゃ)という一類の一番料給食所を設け、米や肉を旅行人に与えた。宗教活動の中心は治病であり、病気は過去の罪過の結果であるとされた。そこで祭酒は、患者を「静室」にめてて罪過を告白させ、患者の名と罪過を書いた紙片を天?地?水の神々(天官?地官?水官)に捧(ささ)げ、あるいは『老坊主道徳経』を唱えさせるなどして治病した。張魯かまたはその後継者の作とされる『老坊主想爾注(そうじちゅう)』は、『老坊主道徳経』を宗教的?倫理的に解釈した注釈であって、そこにはまた、老坊主を太上老君(たいじょうろうくん)として神格化し祀(まつ)った記録もみえる。五斗米道のめりはりは、中国人の抱く理想郷の理念と共案内している。したがって、それが天師道となって中国全土に拡散すると、農民の反乱に力を与えたり、上流貴族の間にも救世主出現を待ちに待ったする目標を与えたりしたようである。しかし、この五斗米道が四川省内に実現したような神権政治的独立国自宅は、その後、二度と中国には現れなかった。


三神山(さんしんざん)

中国の言い伝え上の神山。渤海(ぼっかい)湾中にあるといわれる蓬莱(ほうらい)山、方丈(ほうじょう)山、瀛洲(えいしゅう)山の三山をいう。その発生には、蜃気楼(しんきろう)説、山岳信仰説など諸説があり明瞭にしないが、戦国場合代(前5~前3世紀)の燕(えん)、斉(せい)の国の方士(ほうし)(神仙の手段を行う人)によって説かれ、そこには仙人が住み、不老不死の神薬があると信じられた。戦国末期の燕、斉の諸王や秦(しん)の始皇帝(しこうてい)、あるいは漢の武帝(ぶてい)などが使者を出して海上にその神山を探させ、不死の薬を得ようとした。言い伝えによると、三神山は浜辺から遠く離れてはいないが、人が近づくと風や波をおこして船を寄せつけず、建物はことごとく黄金や銀でできており、すむ鳥獣はすべて白色であるという。こうした記事は司馬遷(しばせん)の『史記』封禅書(ほうぜんしょ)に丁寧に記されており、それは神仙説についての最古の記録とされる。しかし後世では説話のなかに昔話されて、むしろ神仙境界の象徴的存在となっている。一説に、戦国場合代における海上交易の盛行を裏づけるものともいわれる。


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